| ゴードン・マッタ=クラーク展メモ
・「新鮮さ」は、何によって喚起されるか。ひと鉈入れたときに現れる新しい様相それ自体とは、必ずしも一致しない。例えば、オフィス・バロックに比べて円錐の交差には新鮮さがない。文脈なのか、精度なのか。 ・オフィス・バロックでのモノローグの内容は極めて建築的なものであり、彼の創作における作法そのものは建築家のそれであることが明らか。 ・ビルディングカットについて言えば、「穴」は概念でしかないので、彼が作り出したものは物理的な造形というよりも概念である、ということが可能である。
・anarchitectureの一連の作品は、マッタ=クラークが新聞の記事から取った写真で構成されていること。ファウンドフォト的な。
・会場構成に用いられたフェンス、単管、デッキプレート、といったものは、とても安易な都市/建築的・仮設的・スラム的な記号であるので、僕なら使用を躊躇するところではあるが、かといって代替がすぐ思いつくものでもなく。また、それらを用いて会場のニュアンスを多少明るくポップ寄りにしてあるのは共感するところ。マッタ=クラークの思想を反映することは返って偽物感を出してしまうので。 ・会場に壁を立てることはできなかったはずで(さもなければそれは「穴を開けられなかった壁」になってしまうから)、にも関わらず多くの作品は額装済みのものであり、であるならば既存外周壁に展示する他なく、次に中央のスペースをいかに埋めていくか、という作業手順となるのは順当な流れ。 ・いまや都市の方がホワイトキューブよりも不自由なのはその通りで、そのねじれの中で、作品が現存していないこと・ホワイトキューブ(とそれに代表されるジェントリフィケートされた建築と都市一般)に息苦しさを感じていたことをホワイトキューブに持ち込むことの困難さ。 |
..2018/08/12(日) 00:47 No.3671 |
|
|