| リノベーションという規模では到底なくて、せいぜい配置替えと機能補完という程度のリニューアルというプロジェクトにおいては、プログラムの変更もなし、コンバージョンもなし。考えられることは、60年代に建てられた建物の今日的運用について、できる限りの立て直しと延命措置なのかもしれない。
おそらく国内の多くのミッドセンチュリーに建てられた公共建築が、老朽化から取り壊されるか耐震補強して生まれ変わるかするなかで、(建築家が提案したがるところにおいての)プログラムを変えないで、運用の仕方を柔軟に変えていく仕方の事例も多分にあるはず。
新築の時にはトータルなヴィジュアルコントロールを徹底することである種の全体性をつくりだすことができるわけだけれども、後乗りでそれをするにはかなり引いた視線で、つまり批判的操作で対処するのが、まあ一般的な気がする。曰く、新しいものと古いものが共存するだの、どちらが地で図か分からなくするだの、と。しかしそれにはある程度の改変の規模が必要で、表現として成立するだけの変化の量が必要になってくる。圧倒的に改変量がすくないことが何か意味のあることになりうるとしたら、それは、改変部分が引き伸ばされることによって、何かとてもニュートラルなことが起こることにあるような気がする。 ..2012/01/15(日) 02:16 No.3208
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..2017/09/23(土) 18:06 No.3670 |
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