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http://www.hilife.or.jp/public_space_interview_1_ver4/index.html ・目的的な公共空間の使い方では、クオリティを求められないが、レクリエーション的な行動をするようになると、公共空間にはデザインの質が求めれるようになる。 ・「社会的レクリエーション」「都市的レクリエーション」は、自動車によって自然を郊外に得られた結果、あたらしく都市に求められるものとなった。もはや移動のための空間ではない。ここでは、太陽や自然の他に、人々とのつながりが必要である。「人は人の最大の喜びである」 ・公共空間における人々の活動というものは偶然の思いつきから行われる。 →待っている空間、というものには以前から興味があって、目的以前の属人的な時間・空間であって、目的化された空間との間には少なからずある種の緊張関係があるように思う。ここに単純にベンチがあるとか、適度な広さと適度な境界を考えることは結構重要なことなのではないか? →「ちょっと休んだり座ったり人と話すことのできる機会」を、椅子やテーブルを置いただけで作れるわけではない(リテラシーが高ければ成立する)。そういうことが起こりそうにないような、状況の摩擦状態であるような場で、機会化することに、その先の可能性があるような気がする。 ・多くのひとが立ち止まっているようであれば都市の質の高さを示す。タイムズスクエアで起こっていること。 ・都市で人が他者との出会いを楽しむことができれば、社会の持続性を高めることができる。さらに言えば他の市民の姿を眺めることは、民主主義を守ることにも通じている。歩いたり自転車で移動できることを奨励しているのは、人々が歩いたり佇んだりしていることが組み合わさって、快適で安全な都市、持続可能で健康な都市がつくられることになるからである。
http://www.hilife.or.jp/public_space_interview_2/index.html ・ショッピングセンターはどこも同じように見えてしまう。公共空間にはそれぞれのキャラクターが求められる。大きな違いは、公共空間では人々がルールを決められるということ。民主主義的な空間である。はるかに多様な活動を許容する。 ・パブリックライフの質を上げればパブリックライフが増える、そのことを世界のどこでも実践してきた。 →人間の、場所に拠らない基本的な性質、日常の行動規範をしめす。 ・交通量は道路の幅で決まる。自動車型の都市をつくったヒューストンやアトランタなどはもとに戻れなくなってしまった。 →日本では、自動車産業が巨大であるということが案外足かせになっているのか。。。
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