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内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t      返信
 
  普段から神宮の景観に気を配っていたのか、という意見には全く同意。
秘密保護法案にしたって、同じことが言えると思う。

振り上げた拳をどこに持っていくのか、ということにも半分同意。「運動」化したことで、ますます着地点が分からなくなっている。さまざまな意見がごっちゃになって、悪い意味で一丸となってきているように思えるから。
半分は、それを言っちゃ何も反対が言えねーよ、という不同意。
..2013/12/10(火) 11:08  No.3501
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
  
【建築家諸氏へ】

新しく建てられる国立競技場のことを本当はどう思っているんですか。会う 人ごとに聞かれます。講演をすれば、しゃべったテーマとは関係がないのに、 この件に対する質問を受けます。何通ものメールもいただきました。こちらと してはいささか食傷気味ですが、建築界としてはここしばらく例がないほどに 関心が高まっているのだと思います。社会的な正義を唱える建築家たちの姿は、 しばらく見かけなかったことです。これは是とすべきでしょう。

国立競技場の設計競技については、審査委員の一人である以上、結果に対し ての責任は当然のことながら負っているものと思っています。ただし、審査経 過とその対応については、明文化されてはいませんが一定の倫理的な守秘義務 を負っているはずなので、審査委員長の発言や公式発表を越えた発言は、可能 な限り控えたいと思っています。以下に述べることは、現在の全般的な状況に 対するわたし個人の見解と危惧です。触れることができる範囲のことと自分の 考えを述べ、以後、質問にお答えすることは控えたいと思っています。

..2013/12/10(火) 11:09  No.3502
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
  設計競技の手続きに関して、いくつか厳しい指摘がなされていますが、短い 時間の中での窮余の策であったことを考えれば、充分とはとても言えないまで も、まあまあだったのではないかと思っています。世論喚起を急ぐあまり、広 告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったことは反省点です。 設計競技全体の在り方に関しては、類似の案件が生じた場合の対応として、今 後に活かす議論とすべきです。今回の事例を土台に、より良いものに改善され ていくべき事柄だと思います。不備を指弾する声もありますが、普段からこの 仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。そうで なければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということに なりがちだからです。

これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意 識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは 記憶に新しいところです。普段から問題意識がなければ、議論は後追いになる ばかりです。常日頃が大切です。署名運動を繰り広げている建築家たちは、常 日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画 館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一 度でも見たことがあるのでしょうか。
..2013/12/10(火) 11:12  No.3503
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
   設計競技でもっとも重視されるべきは、審査過程に於ける公平性であること は言うまでもありません。審査委員会に、特定の意志が外部から働くようでは、 審査も何もあったものではありません。この点に関して、わたしの知る限り、 外部から働きかける特定の意志は、まったくありませんでした。審査過程で意 見の相違はあったにせよ、審査結果は、あくまでも審査委員の責任に於いて、 委員長によって取りまとめられたものと思っています。

個性的なザハ・ハディドの案については、建築家諸氏には賛否があるはずで すが、あの案の中にある生命力のようなものを高く評価することでまとまりま した。最後に決する際、日本を元気づけるような案を選びたい、という委員長 のとりまとめの言葉は、委員それぞれに重みのあるものと受け止められたはず です。

あの時期のことを思い出してください。大震災の記憶が生々しく人々の脳裏 に残っている時期でした。三陸の復興は先がまったく見えず、福島の原発は危 機的な局面が続く迷走状態でした。多くの人が漠然とした不安を心の内に抱え ていたはずです。痛みや悔恨が世の中に満ちていて、未来への希望がなかった のです。オリンピックにしたところで、あの時点で東京が招致に成功するとは、 ほとんどの人が思っていなかったはずです。わたし自身も招致の可否について は半信半疑でした。
..2013/12/10(火) 11:12  No.3504
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
   招致が決まった今だから言えるきれい事もあります。しかし、あの時期を思 い起こせば、ザハの案に決定して良かったと今は思っています。これは好みや 建築的な主義主張の問題ではありません。あの案がオリンピック招致に果たし たであろう役割も思い出すべきです。あの思い切った形は、東京の本気度や真 剣さを示すという大きな役割を果たしたはずです。

高邁な論議とは異なる次元で、おおいに危惧していることがあります。それ は設計者であるザハのやる気です。建築の設計者であれば誰でも了解できるこ とと思いますが、建物のレベルは設計者の情熱の絶対量に掛かっています。設 計者がどれくらいの精神的なエネルギーを投下するのかによって、建築のレベ ルは大きく変わります。当選したけれど、あれこれ面倒くさいことばかりで嫌 気が差し、担当者任せ、実施レベルの設計者に任せっぱなし、という状況が生 じるとしたら、あの建物は規模だけ大きい二流の建物になってしまいます。ザ ハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら袋叩きにあった、という気 持ちかもしれません。そうなれば、それこそ国税一千数百億を使った壮大な無
駄遣いです。ザハはソウルで巨大な美術館を完成させつつあります。東京の建 物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だ、ということになった らこれ以上残念なことはありません。

ジャン・ヌーベルの基本設計による汐留の電通ビルは、 ヌーベルにとっては 不本意な作品だと聞きます。彼にとっては、自分の作品ではない、ということ なのでしょう。実際、ヌーベルらしい切れ味はなく、中途半端な印象は免れま せん。あまり話題にもなりませんでした。神宮のザハは、汐留のヌーベルにし てはならないのです。ザハのやる気に関して、今現在、世論を誘導している諸 氏は、その責任を取る覚悟があるのでしょうか。

スペイン北部の街ビルバオに、フランク・ゲーリーの設計によるグッゲンハ イム美術館が出来て二年ほどした頃、近くのサンセバスチャンで会議があり、 次の日に訪ねたときのことです。夜になって、地元の建築家たちと会食になっ たとき、あの建物に対する印象を訪ねてみました。あの建物のことが好きか、 というわたしの問いに対して、「好きなわけがないだろう。大嫌いだ」。その後 に続けた言葉が面白い。皮肉っぽい笑みを浮かべて、「でも、大成功だ」、と言 ったのです。知っての通りビルバオは、いまだにスペインからの独立運動が燻 るバスク民族の主要都市です。ゲーリーの奇妙な建物が出来たことにより、世 界中から人が来るようになり、そのことはバスクの存在を世界に発信すること になった、というのです。好き嫌いを越えた戦略的な発想だと感じました。わ れわれもこれに習う戦略的な賢明さを持つべきではないでしょうか。

そのためには、ザハに最高の仕事をさせねばなりません。決まった以上は最 高の仕事をさせる、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、というのが座敷 に客を呼んだ主人の礼儀であり、国税を使う建物としても最善の策だと思うの ですが、どうでしょう。
..2013/12/10(火) 11:13  No.3505
Re:内藤廣氏のコメント 12月9日  ..t     
 
   一人の建築家として槇先生が意見を表明されたことには、全く違和感はあり ません。勇気ある発言に敬意を表します。審査に加わらなかったとしたら、わ たしもわたしなりの考えを表明したかも知れません。しかし、ことが署名運動 にまで拡がりを見せるとなると、違和感は増すばかりです。さらに、それが組 織的に繰り広げられたとなると、看過できないことになります。その意味する ところが変わってきます。団体名で提出された署名は、その団体の意見表明と なるわけですが、その団体はこのプロジェクトに対して本気で水を差す覚悟が あるのでしょうか。建築家の良識とは、その範囲のものだったのでしょうか。

ザハの案が、建築的な議論として深まっていかないことも不満です。あれほ ど個性的な案が選ばれたのですから、本来なら、建築とは何か、建築表現とは 何か、建築には何が可能なのか、というより根源的な議論が巻き起こってしか るべきなのに、語られているのは「分かりやすい正義」ばかりです。

要望書を待つまでもなく、事務当局では規模や予算調整に動いていましたが、 現在示されている縮小案は、ずいぶん小振りになり、景観的にも絵画館から見 てそれほど威圧感のないものになりました。観客席の肩を流線型の形の中に収 めた形態は、審査で目にした他のどの案よりも数段控えめなものになったはず です。

ザハは、東京という巨大都市のアイコンを造る、と言ったわけですから、あ まり控えめになりすぎるのも心配です。わたし自身は、どうせやるのなら、こ の建物に合わせて東京を都市改造する、くらいの臨み方がよいと思っています。 大会開催後改修して規模を小さくしたロンドンのオリンピックの会場と比較し て、8 万人収容の問題も縮小案の俎上に上がっています。ロンドンには、この会 場以外に 8 万人規模の収容人員を持つところが二つもあるわけですから、一概 に規模だけを問題にするのは早計です。

東京という都市は、上海、香港、ソウル、シンガポールなどとコンペティテ ィブな関係にあります。新興勢力の前に負け戦が続いています。縮退は麗しい 美学かも知れませんが、意欲的な改革無くして、高齢化圧力が増すばかりの東 京が都市間競争の負け組になるのは明らかです。個人的な見解ですが、8 万人規 模の集客が数多く生まれるような都市になるためにはどうしたらよいのか、そ のような東京を造っていくのにはどうしたらよいのか、と考える方が前向きの 考え方ではないでしょうか。

もともと神宮外苑は、体力の向上、心身の鍛練の場、文化芸術の普及の拠点 として造営されたものです。大隈重信が明治天皇の墓稜として、森厳な杜とす べし、と言った内苑とは対照的に、明治天皇が好まれた近代スポーツの場とし て、開かれた場所として造営されたことに始まります。歴史性を問うなら、そ の発祥は新しい文化を取り入れ育む場所だったことも思い出すべきです。時を 経て、絵画館前の並木道など、緑多い都市公園として市民に親しまれてきたの も理解できます。わたしもあの場所がとても好きです。その一方で、都心にあ るこの場所の活用の仕方こそが、新しい東京を造る上での成否を握っていると も言えます。

この国では、とかく縮小方向で議論をまとめていく傾向があります。無駄遣 いをやめる、節約が美徳。そちらの方が「分かりやすい正義」になりやすいか らです。新しい国立競技場は、その姿形からして目立つという点で分かりやす いターゲットの出現ですが、今現在、掲げられている錦の御旗に依拠している 限り、建築の文化に資するような議論には発展していかないでしょう。異議を 唱える諸氏は、振り上げた拳をどこに下ろすつもりなのでしょう。国立競技場 の建設を止めさせれば満足なのですか、オリンピック招致を見送れば満足なの ですか、どこまで成果が得られれば矛を収めるつもりなのですか。そう問いた い。

わたしは、あらゆる論理の手前には感情がある、と思っています。コンペの 枠組みを作った官僚的な意志決定のシステムについては、震災復興で相手にさ れなかった憤懣が渦巻いているはずです。さらには、わたしも含めた審査委員 に対する嫌悪もあるでしょう。市井の建築家なのに、権力の片棒を担いでいい 気になっている。そういう気分が働いているはずです。そういう無意識に突き 動かされた感情が、諸氏の言葉の裏側に貼り付いています。分かりやすい目に 見えるターゲットが現れ、そこに噴出する出口を求めているかのように見えま す。手前にそうした感情がある限り、批判のための理屈はいくらでも立つでし ょう。神宮の外苑の景観など、いままで一顧だにしてこなかったのに、いきな りそこに正義の根拠を求めるようになる。感情に訴え、署名を求めるには分か りやすい話です。

しかし、三陸や福島はいいのでしょうか。あそこで蠢いているのは、旧弊に とらわれた法律や制度そのものです。放射能をどのように処理するのかという 答えのない問いです。分かりやすいことには過剰に反応するのに、分かりにく くより本質的な問題には黙する、というのはおかしい。もし、市民の立場に立 つというのなら、良識を標榜するのなら、署名を集めるのなら、本当に怒る相 手を間違えているのではないでしょうか。

オリンピックは短期間のイベントなのだから、無駄遣いをしないようにして やり過ごした方が良い、という意見もあります。たしかにオリンピックは短期 間のイベントですが、世界中の人が東京という都市を目にする機会であり、た だでも誤解されやすい日本という国の本当の姿を理解してもらうのには絶好の 機会です。64 年のオリンピック時には、首都高速が造られ、青山通りが整備さ れ、新幹線が通りました。要するに、あのイベントを通して、次の半世紀に渡
る発展の下ごしらえをしたのです。自宅に客を招くことになれば、それなりに 掃除をし、住まいを整えるのは当然のことです。それがわが国の生活習慣のマ ナーでもあります。これを機会に、東京を次の半世紀に向けて強くするのです。 新しい国立競技場は奇異な形に見えるかも知れませんが、これを呑み込んでこ そ、次のステップが見えてくるのではないかと思っています。

2013.12.09
内藤廣
..2013/12/10(火) 11:13  No.3506





  




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