|    | 磯崎──マルキシズムでさえ日本においては輸入されたモダニズムだからですね。昭和の初期からのマルキストはモダニストである。そしてそういう見方にその後変わってきます。しかし当時はそうではなかった。政党、アカデミズムともに、内部闘争の分裂時代で、モダニズムを一方的に批判するイデオロギーだけが機能していた。そういうときにとるべき戦略は、成功するかどうかは別として、対立物のなかで、一方の側に立って相手を攻撃するというのではなくて、両者を、もうひとつ外から揺するのがいい。そしてこの両者には共通性があるということを見つけださないといけない。議論ができているというのは、お互いに何かの基準をシェアしているはずです。基盤に共通性があるのです。そこを見つけるかどうかが、新しいものが出てくることに関わってくると思います。 日埜──そういう意味で言うと、これでモダニズムは終わりで次はこれだよという、ジャーナリスティックな身振りではないんですね。むしろパラダイムを更新し、オルタナティヴな建築の可能性を立ち上げようとしている。「解体」というタイトルではあるけど、ある種の歴史意識において建築の枠組みを再構築するような意識もうかがえる。実際ここに名の挙がった建築家は、その後太い枝を伸ばして現代建築の視野の素地となっています。
  http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1409/ |  
| ..2013/10/28(月) 16:11  No.3487 |  
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Re:『建築の解体』へ──六〇年代のムーヴメントをマッピングする試み | 磯崎新+日埜直彦 聞き手  ..t     
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|    | ジョルジョ・アガンベン
  イタリアのジョルジュ・アガンベンは国家を「例外状態」の側から捉えて、難民や収容所といった国家にとっての「例外状態」をどう処理するか、この決定あるいは制御の問題を国家論としてやらなければいけないという意味のことを論じています。 |  
| ..2013/10/28(月) 16:49  No.3488 |  
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Re:『建築の解体』へ──六〇年代のムーヴメントをマッピングする試み | 磯崎新+日埜直彦 聞き手  ..t     
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建築における排除と包摂-レム
  建築がどんなシステムで成立しているかではなく、どんなシステムではないか、成立させているコンテンツ・プログラムではなくて例外状態にあるものは何か、 |  
| ..2013/10/28(月) 17:31  No.3489 |  
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