| 言葉と物―人文科学の考古学 By 朱雀正道
時代にはその時代ならではの知の枠組があって、 時代が変われば、知の枠組も変わります。 ルネサンス期の考え方は謎めいていますね、 大宇宙と小宇宙(人間の体)は相同的である、というように。 そこにいったどんな根拠があるでしょう? 太陽やら月やら火星やらがある宇宙と、 人間の頭や手足や胃腸のあいだに、 いったいどんな相同性がありますか? 小一時間、問いつめたくなります。 しかし、過去の時代の人たちにはかれらなりの考え方があるわけで、 問い詰めたって仕方がありません。
これが1600年代後半、ニュートンの時代になると、 リンゴは木から落ちるのに、なぜ月は落ちないのか、 なんて考察がはじまりますから、 当時はまだ教会権力が健在だったとはいえ、 だいぶ世界観が変わってきます。 こういうふうにその後も、知の枠組は時代ごとに変化し、それぞれ特徴がある、 著者はそれを、進歩・発展の相に見るのではなく、 それぞれ時代ごとの知の枠組があるんだ、という見方で扱います。 そこまではわかります。
わからないのはそこから先で、 どうやらフーコーはこんなふうに考えているようです、 いつの時代も人の思考は、時代の知の枠組にボンデージされているのだ、 すなわち、その時代の知の枠組こそが、人間をして、思考させしめているのだ。 なんていう逆説、なんていうニヒリズムでしょう、著者だって人間でしょうに。 いずれにせよ、著者は、知の枠組の変遷史を、 言葉と物の関係(=言語観)の変化に着目して、描いてゆきます。 (ここでもまたソシュール〜ヤコブソンの言語学が、 レヴィ・ストロースとも、ロラン・バルトとも異なった方法で、独自に活用されています。)
では、まず著者がルネサンス期の知の枠組をどう見ているか? イントロは、ベラスケス(1599-1660)の 『侍女たち(ラス・メニーナス)』の分析です。 あの絵は、変な絵ですね、 だって、あの絵を見ていると、 自分はいったい誰の視点でこの絵を見ているんだろうか、とおもう。 はたと気づく、もしかして「わたし」は、 王様の視点からこの絵を見ているのではないか。 そして気づく、そうか、王様は絵画の外にいるのか。 そしてフーコーは、そこに王様の時代の不可視の権力を見ます。 王が言えば黒も白、白も黒、真理は相対的な時代です。 もっともフーコにあっては、どの時代にあっても真理は相対的と考えるでしょうが。
いいえ、それどころかかれらは、 ほんらいまったく別のもののあいだに、類似を見出し、つなげてしまう。 例の、大宇宙と小宇宙(人間)の照応がその代表ですね。 これが1500年代の知の枠組である、と著者は考えます。 この時代の知はすべて、なにかをなにかに関係づけて、注釈すること。 知性そのものが(科学精神よりもむしろ)散文精神に傾いていた時代でした。 そして著者はドン・キホーテに、類似を求め現実に裏切られる、その主題の変奏群を見ます、 ドン・キホーテは1600年代初頭に書かれ、 すなわち、古典時代から見ると、ルネサンス精神そのものが喜劇的に見える、というわけです。
さて、1600年代〜1800年代の古典時代は、 知性は、記号を用いて表象することを中心に展開する。 ライプニッツは、代数を発展させた、 記号をいっぱい発明して、記号を使うことによって。 百科全書は、物に名前をつけ、言葉の体系として、 もうひとつの世界を作り上げた、 差異、概念化、関係、分類、階層化とともに。 『百科全書』と博物学は、同じ時代精神によって生まれた。 しかし物と記号の対応で世界をとらえているようでは、 それはけっして近代的思考とは呼べない。
では近代的思考はいつはじまっただろう、 まず貨幣を見てみよう。 かつて貨幣は、金貨、銀貨、銅貨、 いずれもその貨幣そのものに価値を含めていた。 しかし、ジョン・ローが1715年頃、戦争でカネを使いまくったフランス政府の財政再建のために、 紙幣の導入した、一枚の紙きれが価値があるから価値があるんだ、という、 契約、とりきめ、ルールに依拠するものになった。 このとき通貨は、物質との関係を絶ち、交換価値にもとづくものになった。 物の価値もまた、物に内在するものとして見るのではなく、 売れ(=交換され)た後に、事後的に見出されるものとして考える見方が生まれた。 もはや商品も、労働も、すべて交換体系のなかに位置づけられる。 (ローの財政再建案は失敗、1720年フランスは財政破綻し、システムだけが残った。)
それはまるで言語観の変化のようだ、 言語を、言葉と物の関係でとらえるのではなく、 むしろ、語(シニフィアン)と語釈(シニフィエ)の関係でとらえる。 こうして言語学は交換の体系の象徴になり、さらには近代的思考のエッセンスになる。 人文科学はこうして発展していったわけだけれど、 それにしてもなんてシニカルな文化史だろう、 なぜって、英国の経験主義から、フランスの啓蒙主義、ドイツ観念論に至る系譜が、 まったく思想的に評価されることなく、たんに言語論的転換のプロセスとして扱われる。 ここに本書の、黒々とした野望とその達成がありそうです。
しかも著者は、これをさらに進めて、 科学の発展が、人間中心の思考 ヒューマニズム 人文科学の時代を終わらせる、と考え、 フーコーは、現代の知を、<人間の死> ととらえる。 <人間>という概念そのものが、時代遅れと言う。 かれは自分の知の方法を考古学のメタファーで語りましたが、 本書に見られるとおり、あらゆる社会科学に対してメタ性をもたせたもの、 と同時に、宇宙物理学と分子生物学の両側から人間中心の思考を解体させてゆく、 そんな現代の知のイメージがあるのでしょうが、 この結論の導き方には、論理の飛躍、次元の取り違え、 あるいはジャーナリズムへのもたれかかりを感じます。 原著出版1966年の作品。
1984年、フーコーはエイズで死んだ、 フーコーが予言した人間中心の思考の死に先立って。 |