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菅木志雄展 いくつかのナマの素材が、重ねられたり寄りかかられたり拗じられたりしながら相互に関連性を持たされ、空間のなかに一定の緊張感を作り出す。素材どうしに与えられる操作はとてもシンプルで、かつ、繰り返されることによって、全体として構造のようなものをつくりだす。 「コンクリート柱」の上に「ビニール」が覆うように張られ、その上に「石」が重石として置かれることで固定される。ここで「コンクリート柱」や「石」はそれぞれ個別の形やシミがあって、ひとつとして同じものはない。「ビニール」は大きく一枚にされているが場所によって伸びやシワの入り方が違って一様ではない。「コンクリート柱」「ビニール」「石」という言葉では、あるいはインスタレーションを成立させている、それぞれが担わされた機能としては単一のものであっても、個別には全く違う。だからそれぞれの場所で起きている関係性は、全く同じと言っていいが、実際には引張力や摩擦力は違うしビニールが切れそうになっているところもあったりする。この多様性と均一性が併存している状態はしかも、いかようにも大きくしたり小さくしたりが可能で、全体性に限界がない。限界はないが都度、全体はある。
この感じ。 いまさらなんだけど、「多分律」はちょっとなにか他のものと違う気がする。 ただし、「作品」である以上、「作品」にはひとつのシステムというルールは当然なのだけど全体がシステムに担保されているためにそれはそれで窮屈でもある。それと、どうしても組立が意味論的になってしまうので、現象が現れない。現象が現れるようにするためには、スケールを上げないとダメなのかな?と思ったり。 |
..2015/03/19(木) 01:08 No.3642 |
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