| BS世界のドキュメンタリー「チャーチルを裏切った男たち
マレー(英領)陥落の2時間後に、真珠湾を攻撃していたことは知らなかった。 マレーと真珠湾の港の情報は日本軍にイギリス人によってもたらされており、大英帝国の極東最前線を41年に失って以降、イギリスがアジアで権勢を持つことはなかった。 英空軍の情報はセンピルによって継続的にもたらされていたが、貴族である彼を裁くことができなかった政府高官会議(チェンバレン)(一度目)と、裁判にかけることをせず穏便に処理しようとしたチャーチル(二回目)。 一方真珠湾の情報を流していたラトランドは、処分を受けてその後自殺。庶民と貴族との扱いの違い。 アメリカはすでに民主国家であったが、イギリスはまだ貴族社会が残っていたことが、同じようにWW2に勝利した連合国でありながら、微妙な戦績の違いに影響したのか、とか。
引用
イギリスの情報機関MI5の内部資料が公開され、日英同盟が破棄された後も、ロンドンを舞台に日本の駐在武官とイギリス軍関係者との情報伝達が続いていたことが明らかになった。 中心的な人物がウィリアム・フォーブス・センピル。第一次大戦中に航空部隊で活躍し、やがて首相になるチャーチルにも重用された人物だ。 センピルは、日英同盟の事実上の破棄が決まるワシントン軍縮会議の直前の1921年秋に来日、凡そ1年半にわたって日本海軍の航空部隊への指導にあたる。 この「センピル飛行団」らのイギリス軍将校と日本海軍将校たちとの“交流”が、日英同盟破棄以降も続き、日本海軍の航空戦力は強化されていったとイギリスの専門家は見る。 そして更にこのことが、1941年の日本軍の真珠湾攻撃やイギリス領だったシンガポールの陥落にもつながったとも見ているのだ。 公開された資料では、ロンドン駐在武官時代の豊田貞次郎の名前もある。内部資料とセンピルへの尋問の再現などを交えて、日本とイギリス将校の知られざる情報戦に迫る。 |
..2013/01/02(水) 01:29 No.3282 |
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