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構造躯体と仕上げがギリギリのところで成立していて、むしろ特徴的で造形的な「空間」があったのでは予算と材料のバランスが崩れてしまうわけで。全てが910mmの材料とモジュールで「組み立て」られていて、変に面合わせをしたり揃えたりしていないから即物的な「組みあがり」にしか見えないようになっている。成立のギリギリさゆえに、特段褒めるところがない、という感じ。そこが新しい気がする。これを小屋性とかと言ってしまうと見誤る。なぜなら各「工業製品」が工業製品らしさを完全に残しながら計算づくで組み立てられているから。建築の統合性未満の、世界観の発露未満の存在。
パッサパサのトーストに、マーガリンとマーマレードを出来る限り薄ーく塗って、味の違いを目一杯楽しむような、住宅、であるのはその安っぽくて無意味な表層の戯れに拠る。せっかくの気持ちのよい朝の時間に、市販のマーガリンとマーマレードを定規で計ってくっきり半分づつ塗り分けないと食べられない症状のような、そういう無意味だが当人にとっては切実な戯れ。その薄っぺらさゆえに建築のコンポジションにも寄与できておらず、却って成立のギリギリ性を再浮上させてくる、という関係。
結論、これは素晴らしいのか?俗悪なのか?その判断ができない。「いい建築」の作品性や(あるとすればコンセプトやマニフェストのようなもの)というものからできるだけ遠くにいながら、なお、建築としては成立することができるのか、という問題。
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..2014/09/27(土) 02:22 No.3624 |
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